◆ Märchen << HKM4 < 一括ファイル
いけにえの子が生き返ってから、千年を数えない時代のことです。大きな森のすぐ目の前に、貧しい木こりが住んでいました。この人はとてもじょうぶで、生まれてこのかた病気というものをしたことがありませんでしたが、ある冬のさなか、急にひどい熱を出して倒れてしまいました。そして寝こんだきりちっとも目をさまさず、まるでそのまま死んでしまいそうに見えたので、木こりのおかみさんはいてもたってもいられずに、熱さましの薬草を採りに森へ出かけていきました。ところが、あたりはすっかり白い雪におおわれていて、緑の草なんてどこにも見あたりませんでした。
そうしてあちこちさがしまわるうちに、おかみさんはしだいに森の奥へと入りこみ、いつのまにかすっかり見知らぬところまでやってきていました。するとそこへ、雪のように白いきれいな小鳥が飛んできて、近くの木にとまって歌いはじめました。その鳴き声があんまり美しかったので、おかみさんはおもわず足をとめ、耳を澄ませて聞き入らないではいられませんでした。ひとしきり歌いおえると、小鳥は枝から舞いおりてきて、おかみさんの目の前を飛んでいきました。あとについて歩いていくと、森のなかにりっぱなお城が建っていて、小鳥は高い塔のてっぺんにとまりました。そのお城のまわりには少しも雪がつもっておらず、あおあおとした草花がいちめんにしげっていて、まるで春のさかりのようでした。とりわけお城の裏手にある広場には、あらゆる種類の薬草がところせましと生えていて、そのなかには熱さましになるハーブもたくさん見つかりました。おかみさんはたいそうよろこんで、必要なだけかごにつみ取ると、いそいで来た道を帰っていきました。けれども、歩きはじめてそれほどたたないうちに、この人はいつのまにか、さっき薬草をつんだ広場へと戻ってきてしまいました。そしていくら家へ帰ろうとしてみても、最後にはやっぱりこのお城にたどりつくばかりで、どうしてもそこを離れることができないのでした。
そんなわけで、おかみさんがひとりで途方に暮れていると、ふいに城壁の通用口の戸がひらき、なかから熊の毛皮をかぶった男が姿をあらわしました。よそものの顔を目にすると、この男はひどくふきげんな声で「王さまの庭で盗みを働いたやつは、二度とこの森を出られないぞ!」と言いました。おかみさんはこわくなって、
「どうか見のがしてください。夫が重い病気で、どうしてもこの薬草が必要だったんです」と言いました。すると熊の毛皮男は、
「おまえさんが森を出る方法はひとつしかない。娘のうちどれかひとりを、おれによこすと約束することだ。そうすれば帰りの道を教えてやるし、薬草もそのままくれてやろう」と言いました。
その言葉を耳にして、おかみさんはひどく悲しみました。大切に育ててきたかわいい娘を、こんな野蛮な男にゆだねるだなんて、かわいそうでならなかったのです。けれども最後には、木こりがこのまま助からなかったとしたら、あの子たちだってやっぱりみんな飢え死にしなければならないのだから、と考えて、しかたなく男に娘をひとりあげると約束しました。
すると熊の毛皮男は「この城が見えなくなるまで目を離さずに、来た道を後ろ向きで歩いていけばいい。そうすれば、すぐに森から出られるだろう」と言いました。それから「雪が解けたころ、娘を迎えに行くぞ」と告げると、さっさとどこかへいなくなってしまいました。
そこでおかみさんは、男から言われたとおりに、お城のほうを向いたまま森のなかを戻っていきました。すると、歩きはじめてそれほどたたないうちに、このお城はたくさんの木々のかげに隠れ、ちっとも見えなくなりました。足をとめたおかみさんが後ろを振り返ってみると、そこはもう森のはしで、木立ちのあいまから自分の家が見えていました。ようやく家に帰りついたおかみさんは、いそいでお湯をわかして飲み薬をつくると、病気の木こりのところへ持っていきました。石のように眠っていた木こりは、ひと口それを含ませると、気がついておかみさんの名まえを呼びました。そしてもうひと口でからだを起こし、残りをあっというまに飲みほして、元気にベッドから立ちあがりました。そのときにはもう、この人の熱はきれいにさがっていて、いままで寝こんでいたようにはとても見えませんでした。
ところで、この夫婦には娘が三人あったのですが、どの子もたいそう美しく、おもてを歩けば誰もが振り向いて見ずにはいられませんでした。なかでも末の子がいちばんきれいで、その美しさときたら、ばらの花を千あつめたよりももっと人目を引くほどでした。そんな娘たちの愛くるしい顔を見ていると、おかみさんにはどうしても、熊の毛皮男との約束を話すことができませんでした。そして毎日ひとりで心を痛め、いつしかすっかりふさぎこむようになってしまいました。そのうち木こりも、奥さんのようすがおかしいことに気づいて、心配してわけをたずねました。そこでおかみさんは、薬草を採りに森へ行った日のことを、なにもかも話して聞かせました。
すると木こりは「そいつはたしかに、あまりろくな男じゃなさそうだ。だがたとえそうだとしても、いちど約束をしてしまったからには、やっぱり守らないとならないだろうな」と言いました。「とにかく、ほかにどうしようもなかったんだ。いまさら気に病んでもしかたがないさ。娘たちにだって、なにもほんとうのことを話さなくてもいいだろう。その男が迎えに来たら、ちょっとしたおつかいだとでも言って、どれかひとりを行かせてしまえばすむことだ」。それから、この人はわけ知り顔で「まあなんにせよ、娘なんていずれはもらわれていくもんだ。相手が熊だろうと羊だろうと司祭さまだろうと、たいしてちがいはないものさ」とつけくわえ、それでおかみさんをなぐさめたつもりになっていました。
ところがちょうどそのとき、上のふたりの姉たちは、部屋の窓のすぐそとにいて、父親と母親の話をみんな聞いていたのでした。この人たちは、顔はきれいで白かったのですが、心のなかは醜くまっ黒でした。いまだって、うまいこと末の妹を言いくるめ、めんどうな仕事をみんな押しつけて、自分たちは庭でぶらぶらしていたのです。「熊の毛皮男のところだなんて、まっぴらごめんだわ」と姉たちは考えました。「そんなのは、あの子を行かせてやればいいのよ」。
そこでふたりは「この話は、あの子には内緒にしておきましょう」ときめました。「そうすれば、あの子はなんにもわからずに、平気でその人さらいについていくわ。わたしたちはただ、いつもみたいにうまく立ちまわって、貧乏くじを引かされないように気をつけていればいいだけよ」。そして、これで末の妹をやっかいばらいできるかと思うと、うれしくてしかたがありませんでした。それというのもこの姉たちは、自分より妹のほうが美しいことをずっとねたんでいて、いっそどこかへいなくなってしまえばいいのに、といつもひそかに願っていたからです。
そうして暮らしているうちに、売りものの薪がたくさんたまってきたので、木こりは街で商売をしてくることにきめました。おかみさんと下のふたりの娘も、いっしょに行って運ぶのを手伝うことになりました。いちばん上の姉だけは、そのあいだひとりで留守番をして、家の仕事をかたづけているように言いつけられました。やがて家族が出かけてしまうと、この娘は用心のために、家の戸にかんぬきをおろし、窓もひとつ残らずしめてしまいました。そうしておけば、誰も家へ入ることはできないし、なかにいる自分の姿も見られずにすむと考えたのです。
さて、その日のお昼を過ぎたころのことですが、娘が台所でうたた寝をしていると、誰かがたずねてきて家の戸をたたきました。目をさました娘が、戸のすきまからおもてをのぞいてみると、そこに立っていたのは熊の毛皮をかぶった男でした。着ている不潔な毛皮といい、伸びほうだいの髪やひげにおおわれた顔といい、その汚らしさときたら、とても同じ人間とは思えないほどでした。そこで娘は、できるだけ低い声をつくって、戸はしめたまま「誰だい?」とたずねました。すると相手は、
「お宅のおかみさんの知りあいでね、約束のものを受け取りに来たのさ。ここをあけてくれんかね」と言うのでした。けれども、娘はにべもなく、
「おふくろなら、今日は出かけていて遅くまで戻らないよ。それに悪いけど、誰が来ても戸をあけるなと言われているんだ」と答えました。
「わざわざたずねて来たってのに、そいつはまったく残念だ」と男は言いました。「ところで、おまえさんはやっぱり、この家の娘なんだろうね?」
そこで娘は、自分のことはあきらめてもらおうと考えて「なにを言ってるんだい、おれは男だよ」と答えてやりました。それを聞いた熊の毛皮男は、
「おまえさんが言うんなら、もちろんそのとおりなんだろうさ。いつまでもそのままでいるがいい」と言いました。するとそのとたん、この娘はほんとうに男の姿になっていて、美しかったおもかげもどこにも残っていませんでした。それでも娘は、自分ではそのことがわからずに、もといたところへ戻るとまた眠りこんでしまいました。
やがて夕方になると、娘の家族が街から帰ってきました。ところがこの人たちは、家にいたのが美しい姉ではなく、むさくるしい見知らぬ男だったので、おどろきのあまり声も出ませんでした。木こりはすっかり腹を立て、このずうずうしいよそものをたたきだそうと、壁にかかっていた手斧をつかみました。そして、相手がなにを言っても耳をかさず、ちからずくでそとへ追いだしてしまいました。こうしていちばん上の姉は、家を離れてひとりで生きていくよりほかなくなりました。
ところで、そのころ街では、隠れて教会を否定していた異端者たちがおおぜい見つかって、次々と裁判にかけられていました。そして、有罪になる人があんまりたくさんいたので、火あぶりにするための薪がちっともたりていませんでした。そんなわけで、木こりの持っていった品物は飛ぶように売れ、たいそういいかせぎになりました。家へ戻った木こりは、ほかの薪もいまが売りどきだと考えて、次の日も街で商売をすることにきめました。おかみさんといちばん下の娘も、いっしょに行って運ぶのを手伝うことになりました。まんなかの姉だけは、そのあいだひとりで留守番をして、家の仕事をかたづけているように言いつけられました。やがて家族が出かけてしまうと、この娘は用心のために、家の戸にかんぬきをおろし、窓もひとつ残らずしめてしまいました。そうしておけば、誰も家へ入ることはできないし、なかにいる自分の姿も見られずにすむと考えたのです。
さて、その日のお昼を過ぎたころのことですが、娘が台所でうたた寝をしていると、誰かがたずねてきて家の戸をたたきました。目をさました娘が、戸のすきまからおもてをのぞいてみると、そこに立っていたのは熊の毛皮をかぶった男でした。着ている不潔な毛皮といい、伸びほうだいの髪やひげにおおわれた顔といい、その汚らしさときたら、とても同じ人間とは思えないほどでした。そこで娘は、できるだけ低い声をつくって、戸はしめたまま「誰だい?」とたずねました。すると相手は、
「お宅のおかみさんの知りあいでね、約束のものを受け取りに来たのさ。ここをあけてくれんかね」と言うのでした。けれども、娘はにべもなく、
「おふくろなら、今日は出かけていて遅くまで戻らないよ。それに悪いけど、誰が来ても戸をあけるなと言われているんだ」と答えました。
「わざわざたずねて来たってのに、そいつはまったく残念だ」と男は言いました。「ところで、おまえさんはやっぱり、この家の娘なんだろうね?」
そこで娘は、自分のことはあきらめてもらおうと考えて「なにを言ってるんだい、おれは男だよ」と答えてやりました。それを聞いた熊の毛皮男は、
「おまえさんが言うんなら、もちろんそのとおりなんだろうさ。いつまでもそのままでいるがいい」と言いました。するとそのとたん、この娘はほんとうに男の姿になっていて、美しかったおもかげもどこにも残っていませんでした。それでも娘は、自分ではそのことがわからずに、もといたところへ戻るとまた眠りこんでしまいました。
やがて夕方になると、娘の家族が街から帰ってきました。ところがこの人たちは、家にいたのが美しい姉ではなく、むさくるしい見知らぬ男だったので、おどろきのあまり声も出ませんでした。木こりはすっかり腹を立て、このずうずうしいよそものをたたきだそうと、壁にかかっていた手斧をつかみました。そして、相手がなにを言っても耳をかさず、ちからずくでそとへ追いだしてしまいました。こうしてまんなかの姉は、家を離れてひとりで生きていくよりほかなくなりました。
ところで、その日も街では、また新たな異端者たちが告発され、そこかしこで捕らえられていました。家にはまだ薪があったので、木こりはさらに次の日も、街で商売をすることにきめました。こんどはおかみさんだけがいっしょに行って、運ぶのを手伝うことになりました。いちばん下の妹は、そのあいだひとりで留守番をして、家の仕事をかたづけているように言いつけられました。けれどもおかみさんは、もし熊の毛皮男がこの子を連れに来たらと思うと、心配のあまり胸がはり裂けそうでした。それというのも、末の娘はまだ幼く、よそへやるなんてどう考えたって早すぎたからです。そこで、出かける前に娘を呼ぶと「いいかい、わたしたちが戻るまで、誰が来ても戸をあけるんじゃないよ。かんぬきをきちんとかけて、窓もみんなしめておきなさい」と言い聞かせておきました。そんなわけで末娘は、両親がいなくなるとすぐに、家の戸にかんぬきをおろし、窓もひとつ残らずしめてしまいました。
さて、その日のお昼を過ぎたころのことですが、娘が台所でうたた寝をしていると、誰かがたずねてきて家の戸をたたきました。目をさました娘は、母親の言いつけを思いだし、戸はあけずに「どなた?」とたずねました。すると相手は、
「お宅のおかみさんの知りあいでね、約束のものを受け取りに来たのさ。ここをあけてくれんかね」と言うのでした。けれども、娘は正直に、
「母さまなら、今日は出かけてて遅くまで戻らないわ。それにあたし、誰が来ても戸をあけちゃいけないって言われてるの」と答えました。
「わざわざたずねて来たってのに、そいつはまったく残念だ」とその人は言いました。「ところで、おまえさんはやっぱり、この家の娘なんだろうね?」
そこで娘は「ええ、そうよ。あたしはいちばん下の妹なの」とすなおに答えました。それを聞いたお客さんは、
「おまえさんが言うんなら、もちろんそのとおりなんだろうさ。いつまでもそのままでいるがいい」と言いました。「それじゃ今日はこれで失礼するが、ひとつ頼まれてくれんかね? おかみさんが帰ってきたら、森で会った男と約束したものを、いつ渡してくれるのかって聞いといてほしいんだがね」。
末の娘は、この人がむだ足を踏んでしまったことを気の毒に思って「わかったわ」とこころよく答えました。「あたし、あとでちゃんと聞いておくね」。それから、もといたところへ戻るとまた眠りこんでしまいました。
やがて夕方になると、両親が街から帰ってきました。ところが娘は、昼間うちへ来たお客さんのことを、寝ているあいだにすっかり忘れてしまっていました。そこで母親の顔を見ても、なにもたずねることはありませんでした。
ところで、街ではあいかわらず、異端者たちがひっきりなしに牢獄へ送りこまれ、きびしく取りしらべられていました。木こりは残り少ない薪をかきあつめ、次の日も街で商売をしてくることにきめました。こんどもおかみさんがいっしょに行って手伝い、末の娘はひとりで留守番をすることになりました。両親が出かけてしまうと、娘は昨日と同じように、家の戸にかんぬきをおろし、窓もみんなしめておきました。
するとお昼を過ぎたころ、またお客さんがやってきて、家の戸をたたきました。娘はやっぱり戸をあけないで「どなた?」とたずねました。すると相手は、
「昨日の娘さんだね。おかみさんはなんて答えてた?」と聞くのでした。そこで娘は、ようやく頼まれていたことを思いだし、
「あら、ごめんなさい。あたし、聞くのを忘れちゃったの」と答えました。その言葉を耳にしたお客さんは、腹を立ててちからいっぱい戸をたたいたので、家じゅうの壁という壁がぐらぐらゆれて、もう少しで倒れてくるところでした。それからこの人は、
「今回ばかりは大目に見るが、もしまた聞くのを忘れたりしたら、この家をぺちゃんこにつぶして、おまえさんの家族もみんな引き裂いてしまうからな」と言いました。
そんなわけで、やがて母親が帰ってくると、末の娘はまっさきに「今日ね、母さまの知りあいだっていう人がうちへ来たの」と言いました。「それでね、森で会った男と約束したものを、いつ渡してくれるのかって聞いてたわ」。
母親はびっくりして「こんどまたその人が来たら、聞くのを忘れたって答えるのよ」と教えました。けれども娘は、
「それがだめなの」と答えました。「その人ね、昨日も来て同じことを聞いてったの。でもあたし、そのときはほんとうに忘れちゃったのよ。だから、その人はものすごく怒ってて、もしまた聞き忘れたりしたら、このうちをぺちゃんこにつぶして、あたしたちのことを引き裂いてしまうって言ってたわ」。
それを聞いて、母親も「これはもうどうしようもない」と考えました。そこで娘を抱きしめて口づけすると、採れたばかりの野いちごをやって言いました。「それじゃあね、その人にはこう答えるんだよ。どうぞ約束のものをお取りください、ってね」。
ところで、街ではやっぱりまだ裁判つづきの毎日で、死んだあと永遠に地獄で焼かれることになっている異端者たちが、あらかじめ火刑台の炎でからだをならしているのでした。そこで貧しい木こりは、最後の薪でもうひともうけしようと考えて、次の日も街で商売をしてくることにきめました。これまでと同じように、おかみさんがそのお供をして出かけ、末の娘は家に残ることになりました。娘は両親を見送ると、きちんと戸にかんぬきをかけ、窓もしっかりしめておきました。
するとお昼を過ぎたころ、いつものようにお客さんがやってきて、家の戸をたたきました。娘はまた戸をしめたままで「どなた?」とたずねました。すると相手は、
「末の娘さんだね。こんどこそ、おかみさんの返事を聞かせてもらえるんだろうね?」と聞くのでした。そこで娘は、
「ええ」と答えました。「母さまは、どうぞ約束のものをお取りください、って言ってたわ」。
するとそのとたん、太いかんぬきが音を立ててふたつに割れ、家の戸がひとりでにひらきました。そとには熊の毛皮をかぶった男が立っていて「そいつはおまえさんのことだ!」と言いました。「つまりおまえさんは、自分を連れていっていいと言ったのだ。だからそのとおりにしてやろう」。
その言葉がおわるやいなや、男はさっと娘をかかえあげると、まるで羽根でも生えているかのようないきおいで、大きな森のなかへと飛びこんでいきました。そして気がついたときには、たくさんの木立ちのあいまをとおり抜け、森の奥深くまでやってきていました。そこにはりっぱなお城が建っていて、城壁の門をくぐると、見たこともないようなすばらしい庭園がひろがっていました。城門から建物へとつづく道には、石だたみのかわりにまじりけのない金がしきつめられ、色とりどりの宝石でできた噴水からは、水ではなくワインがふきだしているのです。けれども、そんな道や噴水でさえ、庭じゅうに咲いているたくさんのばらの花とくらべたら、なにもないのと変わりませんでした。その庭園にはあらゆる種類のばらが植えてあり、どの木も見事な花をつけていて、たとえようもなく美しかったのです。
ところが、ばらの木のすぐ前まで来ると、熊の毛皮男は娘を下におろし、枝についている花をよく見せてやりました。するとそれは、布でできたつくりもので、ほんとうに咲いている花ではありませんでした。「見てのとおり、ここにあるばらの花はみんなにせものだ。こいつらは、もう何年もあれこれ手をつくしているというのに、いちども咲いてはくれんのだ」と男は言いました。「この城の王さまは、ばらの花がなによりお好きでな。庭師のおれを呼んで、いちめんにばらが咲きみだれる美しい庭園をつくれ、と命じられたのだ。それでどうにかここまではできたんだが、おれのような男はばらの世話だなんてがらじゃないもんだから、あとがさっぱりうまくいかん。おまえさんを連れてきたのは、おれのかわりに最後のしあげをしてもらうためだ。見たところ、おまえさんならこの仕事にうってつけだろうし、ばらの花を咲かせることができれば、王さまは望みのままにほうびをくださるぞ」。
それから娘は、せまくるしい使用人部屋へ案内され、古びたベッドをあてがわれました。そして、お城づとめをしているおおぜいの侍女たちといっしょにそこで寝起きしながら、毎日ばらの手入れをして暮らすことになりました。庭園で働きはじめた娘は、まずつくりものの花をみんな取ってしまい、それからむだな枝はきれいに切り落として、最後にたっぷりと水をやりました。すると庭のばらたちは、世話をしに来るこの娘の美しさに負けまいと、きそって枝じゅうにつぼみをつけ、次々と花をひらかせました。こうしてほどなく、庭園は咲きほこるばらの花におおわれ、かぐわしい香りでいっぱいになりました。年老いた王さまも、その知らせを聞くとすぐにやってきて、毎日を庭園で過ごすようになりました。この人は、大好きなばらがこれほど見事に咲いていることを、それはもうとてもよろこんで、世話係りの娘をたいそうほめたたえました。そして娘は、すてきな服や靴、きれいな宝石や真珠を山ほどもらい、大臣でなければ使えないような、広い部屋に住むことをゆるされました。そればかりか、これまでいっしょに寝起きしていた侍女たちも、いまでは娘の召使いとして与えられ、身のまわりの世話をつとめることになったのです。娘はいっそう美しくなり、お姫さまのようなすばらしい暮らしをして、誰からもうらやましがられるようになりました。
けれども、そんなはなやかな生活も、けして楽しいことばかりではありませんでした。庭園のばらたちはどれも気ぐらいが高く、身分のちがう世話係りの娘となんて、これっぽっちも仲よくするつもりがなかったのです。そうでなくともこの娘は、あいかわらず庭園の花をみんなあつめたより美しく、ばらたちがどれほどおめかしをしようとも、とうていくらべものにはならないのでした。ばらたちはそれが気にくわず、心のなかでは娘を嫌っていて、ことあるごとにいじわるをしました。そんなわけで娘は、庭園にいるあいだじゅうひとりぼっちで、みんなのきげんをそこねないよう、いつも気をつけていなければなりませんでした。それでもこのばらたちは、あれこれと娘の仕事にけちをつけ、世話のしかたが悪いと言っては怒り、鋭い棘で引っかいてやろうとするのでした。そこで娘は、お気にいりの服をいくつもやぶかれ、細い手足には生傷がたえず、つらい思いを毎日こらえていなければなりませんでした。
そんなある日のこと、いつものように庭園へやってきた娘は、たくさんの葉の下に隠れてひそかに伸びていたばらの根に気がつかず、足を取られて転んでしまいました。倒れこんださきには、棘だらけの枝をひろげたばらのしげみが待ちかまえていて、憎たらしい世話係りのからだじゅうを思うぞんぶんに刺しました。そこで娘は、お城の台所のわきにある井戸のところまで走っていって、あふれてくる血と涙を洗い流さなければなりませんでした。
するとそこへ、王さまのひとり息子がとおりかかって、泣いている娘の姿を目にしました。その白い肌に刻まれた傷口があんまり深かったので、王子さまはおどろいて「これはひどい、すぐに手当てをしなければ。さあ君、わたしにつかまって」と言うと、そっと娘を抱きかかえ、お城の裏手にある広場へと連れていきました。そこにはあらゆる種類の薬草が生えていて、傷に効くハーブもたくさんあったのです。それから王子さまは、あちこちから薬草をつんでくると、シャツを裂いて包帯をつくり、娘のけがをひとつずつ手当てしていきました。この人がやさしく薬草をあてて包帯を巻くたびに、ひらいていた傷口はぴったりとふさがり、流れていた血もきれいにとまるのでした。
そんなわけで、やがて手当てがみんなすむと、娘は涙をふいて立ちあがり「ありがとうございました、王子さま。あたし、もう平気です。早く仕事に戻らないと」と言い、おじぎをして庭園へ帰ろうとしました。
ところが王子さまは、そんな娘を引きとめて「むりをしなくていいんだよ。かわいそうに、君は傷だらけじゃないか」と言いました。「これはきっと、庭園のばらたちのしわざだね。それも、新しい傷ばかりじゃなかった。ずっと前からこんな目にあっていたんだよね。ねえ君、そこまでしてばらの世話をつづけることはないんだよ」。
けれども、娘は首を横に振り「いいえ、王子さま。あたしがこのお城にいられるのは、ばらの花を美しく咲かせることができるからです。この服も宝石も、仕えてくれる侍女たちも広い部屋も、みんなそのためにいただきました。もしこの仕事をしないのなら、あたしにはなにもありません」と答えました。王子さまもそれを聞いて、
「わかった。それが君の望みなら、わたしはもうとめないよ」と言いました。「でもね、せめてこの傷がきちんとなおるまでは、ばらの世話はやすみなさい。それくらいはかまわないよね? 父上と庭番には、わたしが話をしておくから」。
それでも、娘は返事に困り「ええ、でも……そのあいだ、あたしはどうしていたらよいのでしょう。こうしてちゃんと働けるのに、なにもしないでやすんでいるとしたら、まわりの人たちがどう思うことか」と答えずにはいられませんでした。すると王子さまは、
「それもそうだね。ではもしよかったら、そのあいだわたしの手伝いを頼めるだろうか」とたずねたのでした。「わたしはいつも、ここへ来ていろいろな薬草を育てているんだけど、あんまりたくさん増えてしまったものだから、ひとりだと少し手がたりなくてね。ちょうど誰かの助けがほしいと思っていたところなんだ。それに君が来てくれれば、さっきの薬草をこまめに取りかえてあげられるから、それだけ早く傷をなおせるよ」。
こうして娘は、しばらくのあいだ、お城の裏庭で王子さまのお手伝いをすることになりました。ところでこの王子さまは、ほんとうに男の人とは思えないほどきれいで、ばらの世話係りの娘より千倍も美しいのでした。お城で暮らす人たちは、その姿があんまりまぶしすぎるので、もし空にかがやく太陽を見つめることはできたとしても、王子さまの顔はまっすぐに見ることができないほどでした。けれどもこの人は、いつもひとりきりでハーブの相手ばかりしていて、ばらの花が咲きみだれる美しい庭園にも、いちども来たことがありませんでした。娘はそれをとてもふしぎに思って、あるとき「どうして王子さまは、庭園にはいらっしゃらないのですか?」とたずねました。「もし王子さまがお見えになったとしたら、ばらたちはそのかがやきに照らされて、いまよりもはるかに美しく咲くことでしょうに」。
すると王子さまは「君が手入れした庭のすばらしさは、みんなから聞いて知っているよ」と答えました。「でもね、ばらの花ってわたしはあんまり好きじゃないんだ。とてもきれいなのはわかるけど、あの自信に満ちた美しさは、見ているとなんだか疲れてしまってね。それよりも、こうして薬草を育てているほうがずっといいよ。この子たちの元気な姿を目にすると、わたしもすごくうれしくなって、いやなことなんてみんな忘れてしまうもの」。
そんなわけで王子さまは、誰も来ることのない裏庭で、土まみれになるのもかまわずに、一日じゅう楽しそうに薬草の世話をしているのでした。この人にはちっとも飾ったところがなく、大好きな薬草たちと同じようにいつも自然に生きているので、お手伝いの娘も、いっしょにいるのが王子さまだということをすっかり忘れてしまったほどでした。おまけにこの王子さまは、幼い子どものように無邪気で屈託がなかったので、娘もすぐにうちとけて、まるでずっと昔から友だちだったみたいに仲よしになりました。ふたりは毎日ちからをあわせて、増えすぎてしまったハーブを広い場所に植えかえたり、虫や病気をふせぐために灰をまいたり、乾燥させて使うものをつんできて干したりしました。
そうして暮らしていると、あっというまに娘のけがはよくなって、傷あとも残らずきれいになりました。それを見た王子さまは「もうすっかりいいみたいだね。今日までほんとうにありがとう。こんな薬草の世話だなんて、君にはとても退屈だったろうに、よく手伝ってくれて助かったよ」と言いました。けれども娘は、
「いいえ、王子さま。あたし、ちっとも退屈なんてしていませんでした」と答えました。「いままで知りもしなかったけど、こんなふうにして生きている草花があるんですね。いつもすごくおだやかで、あたしもすっかりこの子たちが好きになってしまいました。もうこれでお別れかと思うと、さみしくてしかたがありません」。
すると、王子さまはおどろいて「君がそう思っていたなんて、ちっとも知らなかったよ」と言いました。「わたしはてっきり、君は早くあの庭園に戻りたがっているとばかり考えていたものだから」。
「だって、ほかになにができるでしょう」と娘は答えました。「あたしのとりえといったら、ばらの花を美しく咲かせることだけなんです。薬草の世話がいくら好きでも、人よりじょうずにできるわけじゃありません。これまで王子さまのお手伝いをしてきても、たいして役には立てなかったって、自分でもわかっているんです」。
けれども王子さまは「そんなことないよ。君がそばにいてくれて、わたしはとてもうれしかったもの」と言いました。「わたしはね、まだほんの子どものころからここへ来ていたけど、いっしょに薬草を育ててくれる人なんて誰もいなかったんだ。だからわたしは、死ぬまでひとりで生きていくしかないと思ってたし、いままではそれでちっともかまわなかったんだよ。だけど、君とふたりで過ごすようになってから、毎日がどれだけ楽しかったことだろう。ずっと黙っていたけれど、ほんとうのことを言うとね、君が庭園に帰ったりしなければいいのにって、心のなかではいつも思っていたんだよ」。それからこの美しい王子さまは「ねえ、もし君が、この子たちだけじゃなくわたしのことも好いてくれているのなら、結婚していつまでもいっしょにいてもらえないだろうか」とたずねたのです。そこで娘も、
「はい、王子さま。あたし、あなたのことが好きです。これからさき、ほかの誰も愛することはないでしょう」と答えたのでした。
こうしてお城では、ふたりの結婚式がたいそう盛大におこなわれました。やがて夜もふけると、あつまっていた人たちに見送られ、王子さまと若いお妃さまは大広間をあとにしました。ところでこの美しい花婿は、寝室で花嫁とふたりきりになると「このあとのことだけど、ひとつわがままをゆるしてもらえるだろうか」とたずねるのでした。「今夜はね、別々に眠りたいと思っているんだ」。
それを聞いたお妃さまは、きっとこの花婿はとてもつつしみ深い人なのだ、と考えて「ええ、かまわないわ」と答えました。すると王子さまは、
「勝手を言ってごめんね。わたしは奥の部屋でやすむけど、どうか朝までそっとしておいてほしい。たとえなにがあったとしても、ようすを見に来たり、戸をあけたりしてはいけないよ」と言いました。そしていとしい花嫁の頬におやすみの口づけをすると、奥の小部屋へ入って戸をしめてしまいました。そこでお妃さまも明かりを消して、広いベッドにひとりで眠りにつきました。
さて、次の日もお城では、まだ婚礼のおいわいがつづけられていました。大広間には王族や貴族のご婦人がたがあつまって、若いお妃さまのことを待ちかまえていました。この人たちは、自分たちの新しいお仲間と、早くお近づきになりたかったのです。そしてお妃さまが姿をあらわすと、みんなでまわりを取りかこみ、あれこれと話を聞きたがりました。とりわけご婦人がたは、あの美しい王子さまがなぜ結婚する気になったのか、どうしてもふしぎでなりませんでした。それというのも、これまでどんなに美しいお姫さまも、けして王子さまの気を引くことができず、誰ひとりとして親しくなれたものはいなかったからです。
そうしておしゃべりをしているうちに、やがてみんなは口をそろえて、王子さまが昨日の夜、どんなようすだったのかとたずねました。そこでお妃さまは「あたしたち、昨日は別々の部屋でやすみました。だから、王子さまがどうしていたのかはわかりません」と答えました。すると、ご婦人がたはおどろいて顔を見あわせ、それからおかしそうにくすくすとしのび笑いをもらしたので、お妃さまはひどく恥ずかしい思いをしなければなりませんでした。
ところで、その夜も王子さまは、寝室で花嫁とふたりきりになると「このあとのことだけど、今夜もまた別々に眠ってくれるだろうか」と言うのでした。それを聞いたお妃さまは、
「ねえ王子さま、それはどうしてなの? わけがあるなら教えて」とたずねました。けれども美しい王子さまは、
「いまはまだ、君には話せないんだよ。でもね、どうしてもそうしなければならないんだ。わたしのことを愛してくれているのなら、どうかなにも聞かずにゆるしてはもらえないだろうか」と答えるばかりで、けしてわけを言おうとはしませんでした。そこでとうとうお妃さまも、
「わかったわ」と答えるよりほかありませんでした。するとこの美しい王子さまは、花嫁の頬におやすみの口づけをして、奥の小部屋へと姿を消しました。そしてお妃さまも、またひとりっきりで眠りにつきました。
さて、そのまた次の日も、大広間にはやっぱりあのご婦人がたがあつまっていました。この人たちはこんどこそ、若いお妃さまと美しい王子さまが、どんな夜を過ごしたのか聞けると思っていました。そこでお妃さまは「あたしたち、昨日はいっしょにやすみました。王子さまは、あたしのことをやさしく抱きしめてくれました」とうそをつきました。けれどもご婦人がたは、そんな言葉ではちっとも満足せずに、もっとくわしい話が聞けるまで、けしてゆるしてくれませんでした。お妃さまはそれに答えることができず、うそをついたことがわかってしまい、昨日よりもいっそう恥ずかしい目にあいました。
やがてまた夜になり、寝室でやすむ時間が来ると、王子さまは花嫁に「今夜のことだけど、もういちどだけ別々に眠ってほしいんだ」と言いました。それを聞いたお妃さまは、
「ねえ王子さま、あなたはほんとうにあたしと結婚したかったの?」とたずねました。「薬草たちの世話を手伝うだけでよかったのなら、わざわざお妃さまにしてくれなくたって、あたしよろこんでやったのに」。
けれども王子さまは「どうかそんなことを言わないで。わたしだってほんとうは、ひと晩じゅう君のとなりにいたいと思ってる。だけどこれは、わたしたちにとってすごく大切なことなんだ。もう二度と君をひとりにしないと誓うから、今夜だけは言うとおりにしてくれないか」と答えるばかりで、どうあってもゆずろうとはしませんでした。そこでやっぱりお妃さまも、
「あなたがそこまで言うのなら」と答え、頼みを聞くよりほかありませんでした。すると王子さまは、花嫁の頬におやすみの口づけをして、ひとりで小部屋へ行ってしまいました。お妃さまは明かりを消してベッドによこたわりましたが、明日もまたあのご婦人がたに笑われてしまうのかと思うと、かたときも心がやすまらず、どうしても寝つくことができませんでした。長いことそうしているうちに、やがてお妃さまは、いったい王子さまがひとりでなにをしているのか、どうしても気になってしかたなくなりました。そしてもう、小部屋の戸の前まで行って、鍵穴からなかをのぞいて見ずにはいられませんでした。するとあの美しい王子さまが、寝間着姿でベッドのそばにひざまづき、胸の前で手を組んで、目をとじて祈っているところが見えました。ところがその姿は、どこから見ても女の人でした。お妃さまがそれを目にしたとたん、かかっていた鍵が音をたててはずれ、小部屋の戸がひとりでにひらきました。お妃さまはびっくりして「ねえ王子さま、あなたなの?」とたずねました。その女の人は、顔をあげてお妃さまを見ると、おおつぶの涙をぽろぽろとこぼして、
「わたしだよ」と答えました。そして「ほんとうの姿を知られたからには、もうこの結婚をつづけていくことはできないね。やっぱりわたしは、死ぬまでひとりきりで生きていくしかないみたいだ」と言うと、両手で顔をおおって泣きくずれてしまいました。けれどもお妃さまは、そんな女の人をやさしくなぐさめ、
「かわいそうに、あなたはずっとむりをして、男のかっこうをつづけてきたのね。だけど、もうあなたひとりで苦しまなくていいの。こんどはあたしが、あなたのちからになるから」と言いました。そこで女の人も、お妃さまにすっかりわけを話しました。この人は、生まれたときにはまぎれもなく男の子でしたが、王国を横取りしようとねらっていた魔女たちに呪いをかけられて、女の子の姿へと変えられてしまったのです。ところが王さまは、それでもこの子に国を継がせたくて、お姫さまではなく王子さまとして育てさせたのでした。それから月日は流れ、あれほど国じゅうを荒らしまわっていた魔女たちも、いつしかさっぱり見かけなくなってしまいましたが、この人はあいかわらず女のままでした。この人が呪いを解くためには、誰かと結婚してから三晩のあいだ、姿を見られずにひとりっきりで祈り明かさなければならなかったのです。
それを聞いたお妃さまは「ああ、なんていうことでしょう」と嘆かずにはいられませんでした。「あとほんの少しで、あなたはもとに戻れていたはずだったのに。まさか、あたしがそのじゃまをしてしまったなんて」。
けれども、女の人は首を振り「君のせいなんかじゃないよ」と言いました。「隠さずにきちんと話しておけば、こんなことにはならなかったんだもの。だけど、ほんとうは男じゃないとわかったら、君はきっとがっかりして、やっぱりわたしから離れていってしまったことだろうね」。
ところがお妃さまは「そんなことないわ」ときっぱり答えました。「だってあたし、お妃さまになりたかったわけじゃないもの。あなたといっしょに過ごしていると、あたしの心もきれいに澄んで、いやなことはみんな忘れてしまえるの。だからあたし、あなたという人を好きになったのよ。その気もちは、いまでもやっぱり変わってないわ。ほんとうは女の人だったからって、あなたはあなたのままだもの。そばを離れたいなんて思うはずがないわ」。それからお妃さまは、女の人のまぶたにそっと口づけすると、ふるえるその肩を抱きしめて「さあ、もう泣かないで。呪いを解く方法なら、きっとまだほかにもあると思うの。あたし、いつまでだって待てるわ。だって、相手があなたでないのなら、結婚なんてちっともする気になれないんだもの。だからこれからも、ずっとふたりで生きていきましょう」と言ったのです。そこで女の人も、
「君がそう言ってくれてすごくうれしいよ。だって、わたしもこんなに君のことが好きなんだもの。いつの日かきっと、君のほんとうの王子さまになってみせるからね」と答えたのでした。
そんなことがあってからというもの、この美しい王子さまとお妃さまは、おたがいにすっかり心をゆるし、ほんものの夫婦なんかよりもずっと仲よしになりました。男の服を着て暮らす王子さまのことを、お妃さまはかたわらでそっと気づかい、王子さまはみずみずしい薬草で裏庭をいっぱいにして、お妃さまにいつも元気をくれるのでした。ふたりをへだてるものはもうなにもなく、相手のことはみんなわかっていて、自分たちのほかには誰もいなくてかまいませんでした。そしてかたときもそばを離れようとせず、ずっとふたりでよりそって過ごしているので、まわりの人たちは近づくこともできなくなってしまったほどでした。王子さまの呪いを解く手だては、おおぜいの学者たちにしらべさせてもさっぱり見つかりませんでしたが、この人たちはまるで気にもとめず、それはしあわせな毎日を送っていました。
ところで、この王子さまにはほかに兄弟がなく、やがては王さまのあとを継がなければなりませんでした。そこでまわりの人たちは、こんどは王子さま自身にも、早く子どもが生まれてほしいと思っていました。もしお世継ぎができなければ、この国をおさめる王家の血すじが、いずれはとだえてしまうからです。けれども若いお妃さまには、何年たってもいっこうに子どもができませんでした。そこでみんなは心配になって、あの人はお妃さまにふさわしくないのではないか、とあちこちでうわさするようになりました。そんな話を耳にするたびに、王子さまはひどく心を痛め、罪のないお妃さまをかばってまわりました。そしてとうとう、お世継ぎの話はいっさいしてはならない、というおふれを出したのですが、それでも人々が隠れて陰口をたたくのをやめさせることはできませんでした。すると、あれほど元気に生えていた裏庭の薬草たちが、見るまにしおれて枯れていき、いくら新しい苗を植えてもけして根づかなくなってしまいました。王子さまはすっかり気を落とし、もう笑いもしなければ口をきくこともなく、部屋にこもったきりちっともそとへ出てこなくなりました。お妃さまはとても悲しくなって、毎朝ひとりでお城を抜けだしては、誰もいない森のなかで日々を過ごすようになりました。
そんなある日のこと、お妃さまがいつものように森へ出かけ、小さな泉のほとりに腰をおろしていると、ひどくむさくるしいふたりの旅人がそこをとおりかかりました。着ている不潔な服といい、伸びほうだいの髪やひげにおおわれた顔といい、その人たちの汚らしさときたら、とても同じ人間とは思えないほどでした。ところでそれは、昔このお妃さまの姉だった人たちでした。男の姿に変えられてからというもの、このふたりはもう誰からも見向きをされなくなり、とうとう身なりにこれっぽっちも気をつかわなくなってしまったのです。そのうえこの人たちは、どこへ行っても嫌われるばかりで、落ちつくさきを見つけることもできませんでした。そこで、あてもなくあちこちをさまよいながら、わが身におとずれた不幸を嘆き、おたがいをなぐさめあってみじめに生きているよりほかありませんでした。
そんなわけで、お妃さまもはじめのうちは、その男たちが誰だかちっともわかりませんでした。けれどもこの人たちは、いっしょに暮らしていたころの話をあれこれ聞かせ、自分たちの身になにが起きたのかを教えました。そこでようやくお妃さまにも、相手が自分の姉だった人たちなのだとわかりました。お妃さまは再会をとてもよろこんで、兄たちのことを抱きしめました。ところでこの兄たちは、妹がまるでお姫さまのようななりをしているので、ふしぎに思ってわけをたずねました。そして、美しい王子さまと結婚したことがわかると、ねたましさのあまり黄色くなったり緑色になったりしました。自分たちがこんなにあわれな暮らしをしているというのに、ひとりだけしあわせになっていただなんてゆるせなかったのです。そこで兄たちは、妹を気づかうふりをして「だけどおまえ、お妃さまになったというわりには、どうも元気がないようだね」と言いました。「もしなにか困ったことがあるなら、遠慮しないで話してごらん。おれたちがちからになれるかも知れないよ」。
その言葉を聞くと、妹はこらえきれずに泣きだして「あたし、お城にいるのがつらいの。いつまでも子どもができないせいで、まわりの人たちがみんなして、あたしはお妃さまにふさわしくないってうわさしてるんだもの」と言いました。「だけどね、それはあたしのせいじゃないのよ。だってあたしの王子さまは、魔女たちに呪いをかけられたせいで、いまは女の姿になってしまってるんだもの。その呪いが解けないうちは、あたしたちに子どもなんてできるはずないのよ」。
すると兄たちは「そうだね、おまえはちっとも悪くないよ」と言って妹をなぐさめましたが、心のなかでは「ふむ、こいつはいいことを聞いたぞ」としか考えていませんでした。「これまでひどい目にあってきたおれたちにも、ようやく幸運がめぐってきたらしいな。もしも王子さまが女だとしたら、そのお妃にはどう考えたって、おれたちのほうがふさわしいだろうよ。そんなに子どもがほしけりゃ、王子さま自身に産ませてやればいいのさ」。
そんなわけで、この人たちはふたりでしめしあわせると、妹から王冠を奪い取り、さんざんひどい目にあわせたあげくに、泉にしずめて殺してしまいました。それからむさくるしい兄たちは、ひさしぶりに女の服を着て、うれしそうにお城へとやってきました。そして、お妃さまの姉だと名乗ると、妹のことで大切な話がある、と王子さまに伝えさせました。やがて王子さまの部屋へとおされると、この人たちは「残念ですが、悪い知らせです。私たちの妹は、森で狼におそわれて死んでしまいました。見つけたときにはもう手遅れで、埋めてやるよりほかにできることはありませんでした。これがその証拠です」と言って、金の王冠を見せました。それを目にした王子さまは、おどろきのあまり気をうしなって倒れ、義兄たちに抱きとめてもらわなければなりませんでした。
それでもむさくるしい義兄たちは、持っていた強い蒸留酒を気つけにして、すぐにまたこの人の目をさまさせました。そして「お気の毒な王子さま。こうなったからには、私たちが新しいお妃となって、あなたのことをおなぐさめしましょう」と言いました。けれども、悲しみに暮れる王子さまは、
「せっかくだけど、そんな気づかいはいらないよ」と答えました。「わたしの妃は、あの人でなければだめなんだ。だからわたしは、もう死ぬまで誰とも結婚することはないだろう」。
ところが、むさくるしい義兄たちはまるで耳をかさず「いいえ、王子さま。あなたには、どうしたって私たちと結婚してもらわなければなりません」と告げました。「そうでなければ、私たちはあなたの秘密を、お日さまのしたで明らかにすることでしょう。教会をあざむき、女同士で結婚していたと知れれば、婚姻の秘蹟を冒涜した罪で、あなたは火あぶりにされてしまうのですよ」。
こうなってしまっては、王子さまにはどうすることもできず、義兄たちの言いなりになるよりほかありませんでした。そこでお城では、王子さまと新しいお妃さまたちの結婚式がおこなわれることになりました。うつむいて涙をこらえている美しい花婿をよそに、むさくるしい花嫁たちはおおよろこびで、きらびやかなドレスを見せつけてまわって得意になっていました。やがて夜もふけると、あつまっていた人たちに見送られ、王子さまと新しいお妃さまたちは大広間をあとにしました。ところがこの美しい花婿は、寝室へ向かうあいだに醜い花嫁たちの手を振りはらうと、
「わたしの前は明るくなって、後ろは暗くなりなさい。ゆくえが誰にもわからぬように」
と言いました。するとその言葉のとおり、花嫁たちには王子さまの姿が見えなくなって、どこへ消えたのか見当もつきませんでした。そのあいだに王子さまは、ひとりでさきに寝室へ戻ると、小部屋へかけこんで鍵をしめてしまいました。それでも花嫁たちは、城じゅうをしつこくさがしてまわり、とうとう寝室までやってきました。そして鍵のかかった戸を見つけると、猫なで声で王子さまのことを呼び、なんとかそこをあけさせようとしました。けれども美しい王子さまは、返事もしなければ出てくることもありませんでした。そこで花嫁たちは、こうなったからにはちからずくで言うことを聞かせてやろうと考えて、大きな斧を振るって小部屋の戸をこわしはじめました。
ところでそのころ、お城の台所にいた熊の毛皮男は、雪のように白い一羽の白鳥が飛んできて、窓から部屋へ入ってくるのを目にしました。その白鳥が、
「あたしの王子さまはどうしているの?」
とたずねるので、熊の毛皮男は、
「ご自分のお部屋にこもって、ひとりでお祈りをしてらっしゃるよ」
と答えました。すると白鳥はまた、
「むさくるしい花嫁たちはどうしているの?」
とたずねるので、熊の毛皮男は、
「おまえさんの寝室で、恥知らずなことをたくらんでるね」
と答えました。それを聞いた白鳥は、
「花嫁たちのところへ行って、あたしが王子さまの呪いを解きに来たと伝えてちょうだい」
と頼みました。そこで熊の毛皮男は、言われたとおりに寝室へ向かうと、扉をたたいて「雪のように白いきれいな白鳥が、王子さまの呪いを解くためにいらっしゃったよ」と伝えました。むさくるしい花嫁たちはびっくりして、
「王子さまが男に戻ってしまったら、おれたちとの結婚はおしまいだぞ。あいつをものにする前に、そのいまいましい白鳥とやらを追いはらわなければ」と考えると、あわてて廊下へと出てきました。そして白鳥がやってくるのを目にすると、ふたりして太い腕を振りまわし、窓からそとに追いだしてしまいました。するときれいな白鳥は、こんどはお城の屋根をこえて庭のほうへ飛んでいったので、花嫁たちもいそいでバルコニーへ出て、王子さまのいる小部屋の窓に近づけないようにしなければなりませんでした。それからもこの白鳥は、いくら追いはらわれてもけしてあきらめず、王子さまのもとをめざして舞い戻ってくるのでした。そこでふたりの花嫁たちは、ずっとそのあとを追いまわしつづけ、とうとうひと晩じゅう寝室には戻れませんでした。けれども、けなげな白鳥のほうもまた、いとしい王子さまに会うことはかないませんでした。やがて夜が明けはじめると、朝日をあびた白鳥の姿はぼんやりとかすんでいき、ほどなくすっかり消えてしまいました。
さて、その次の夜も王子さまは、寝室へ向かうあいだに花嫁たちの手を振りはらうと、
「わたしの前は明るくなって、後ろは暗くなりなさい。ゆくえが誰にもわからぬように」
と言いました。そこで花嫁たちは王子さまの姿を見うしない、ようやく寝室へやってきたときには、もう小部屋の戸はかたくとざされてしまったあとでした。そんなわけで、この人たちがもういちど戸をやぶろうとしていると、また寝室の扉をたたく音がして「雪のように白いきれいな白鳥が、王子さまの呪いを解くためにいらっしゃったよ」という声が聞こえてくるのでした。むさくるしい花嫁たちはうんざりして、
「いくら来ようとむだなのに、まったくしつこいやつだ。追いはらっても戻ってくるというのなら、捕まえて檻のなかへ入れてしまおう」と考えると、そろって廊下へと出てきました。そして網や縄を振りまわし、やってきた白鳥を捕まえようとしました。ところがきれいな白鳥は、いくら追いつめたと思っても、そのたびに翼をひろげて舞いあがり、手の届かないところへ飛んでいってしまうのでした。そこでふたりの花嫁たちは、ひと晩じゅうそのあとを追いまわしつづけ、それでもやっぱり捕まえることができませんでした。けれども、けなげな白鳥のほうもまた、王子さまのいる小部屋に近づくことはかないませんでした。やがて夜が明けはじめると、朝日をあびた白鳥の姿はぼんやりとかすんでいき、ほどなくすっかり消えてしまいました。
さて、その次の夜も王子さまは、またしても花嫁たちの手を振りはらうと、
「わたしの前は明るくなって、後ろは暗くなりなさい。ゆくえが誰にもわからぬように」
と言いました。そこで花嫁たちの目は闇にとざされ、王子さまが小部屋へ逃げこむのをとめることができませんでした。そんなわけで、この人たちがこんどこそ花婿の部屋に押し入ろうとしていると、やっぱり寝室の扉がたたかれ「雪のように白いきれいな白鳥が、王子さまの呪いを解くためにいらっしゃったよ」という声がするのでした。むさくるしい花嫁たちはすっかり腹を立て、
「憎たらしい白鳥め、どうあってもおれたちと王子さまのじゃまをするつもりか。追いつめても捕まえることができないのなら、あとはもう殺してしまうよりほかにないな」と考えると、おそろしい顔で廊下へと出てきました。そして剣や弓を振りかざし、やってきた白鳥におそいかかりました。ところがきれいな白鳥は、いくら切りつけたり射かけたりしてみても、そのたびにするりと身をかわし、一枚の羽根もそこなわれることがありませんでした。そこで花嫁たちはすっかりむきになり、頭に血がのぼってまわりが見えなくなってしまったので、白鳥をめがけて振りおろした剣が、あやうくもうひとりの花嫁の首をはねそうになったり、こんどはその花嫁の放った矢が、もう少しではじめの花嫁の心臓をつらぬきそうになったりするしまつでした。
ところで王子さまはといえば、そのあいだずっと小部屋のなかにひとりきりで、いっしんに祈りつづけていました。やがて夜が明けはじめると、天窓からひとすじの光がさしこんできて、その美しい顔を照らしました。それは、むさくるしい花嫁たちとの結婚式から数えて三度目の朝日でした。するとそのとたん、長いこと王子さまを呪いつづけていた魔法は解け、この人はまぎれもなく男の姿に戻っていました。目をあけた王子さまは、いそいでかたわらの剣をつかむと、部屋のそとへと飛びだしていきました。そこには雪のように白いきれいな白鳥がいて、朝日をあびて姿がかすみ、いまにも消えそうになっていました。けれども、王子さまがすばやく剣を抜いてその首をはねると、白鳥はもとの姿を取り戻し、美しいほんとうのお妃さまに変わりました。生き返ったお妃さまは、まるでなにごともなかったかのようにすこやかで、一本の髪の毛もそこなわれていませんでした。ふたりは心の底からよろこんで、泣きながら手と手を取りあい、もう二度と離れることはありませんでした。
いっぽうそのころ、あのむさくるしい花嫁たちは、白鳥の姿を見うしない、手わけしてあたりをさがしまわっていました。すると若いほうの花嫁は、窓のそとにある大きな木に、夜のように黒いからすがびっしりととまっているところを目にしました。その醜いからすたちは、どれも耳ざわりな声でやかましく騒いでいて、そのうちの一羽が、
「新しい花嫁の妹のほうが殺されるよ!」
と叫んでいるかと思えば、また別の一羽は、
「新しい花嫁の姉のほうは、美しい王子さまもこの国も、みんな自分だけでひとりじめにしたいと思ってるんだよ!」
と叫んでいるのでした。それを聞いた醜い花嫁はびっくりして「なんてことだ。まさかあいつが、このおれを殺そうとたくらんでいたとは」と言いました。「だがたしかに、あいつだったらやりかねないぞ。考えてみれば、さっきおれのほうに切りかかってきたのも、ねらいをはずしたように見せかけていただけで、ほんとうはわざとだったにちがいない」。
それからこの人は、もうひとりの花嫁がいまも自分を殺そうとしているかと思うと、こわくてたまらなくなりました。するとそこへ、熊の毛皮をかぶった男がとおりかかったので、むさくるしい花嫁はあわてて呼びとめ「そこのおまえ、私のことを護衛して、兵たちのところへ連れていきなさい。私は命をねらわれているのです」と言いました。そこで熊の毛皮男は、命令どおりこの人のさきに立って歩きながら、
「ところでおまえさん、自分の姉妹を殺して大事なものを横取りするような人間には、どんな罰がふさわしいと思うかね?」とたずねました。それを聞いた醜い花嫁は、
「そんな悪人は、服を脱がせてまるはだかにし、内側に長いくぎがつきだしている鉄の乙女像のなかへ入れてやらなければなりません。乙女像には目玉をくり抜いた馬をつなぎ、死ぬまで引きまわさせるのです」と答えました。すると熊の毛皮男は、
「そいつはおまえさんのことだ!」と言いました。「つまりおまえさんは、自分で自分に裁きをくだしたのだ。だからそのとおりにしてやろう」。
その言葉がおわるやいなや、男はものすごいちからで花嫁につかみかかると、あっというまに縛りあげ、お城の庭へと引きずっていきました。そこにはすでに、おおぜいの衛兵たちにかこまれて、年上のほうの花嫁が捕らえられていました。それというのも、この人もまた同じように、姉妹を殺すような悪人は服を脱がせて鉄の乙女像につめるべきだ、と熊の毛皮男に答えていたのです。
やがて、ふたりが言ったとおりのことがおこなわれました。むさくるしい花嫁たちは、豪奢なドレスをはぎ取られ、すっかりはだかにされました。すると、この人たちがほんとうは男だったことが、誰の目にも明らかとなりました。そこへ鉄の乙女像が運ばれてきて、ふたりはいっしょにそのなかへ押しこめられ、前には黒い馬がつながれました。ふたつの目玉を抜かれると、この馬は狂ったように走りだし、庭園じゅうをさんざんかけずりまわったので、咲いていたばらの花が残らず散って、まっ赤な花びらで地面がすっかりおおわれてしまったほどでした。それから黒い馬は、乙女像を引いたまま城門のそとへ飛びだしていって、もう二度と戻ってくることはありませんでした。
そのあとお城では、ほんとうのお妃さまと王子さまが、もういちどふたりで結婚式をあげました。ところがこの美しい花嫁は、花婿があんまり凛々しくなってしまったので、胸がどきどきしてまっすぐに顔を見ることもできませんでした。そして、花婿が口づけを交わそうとすると、すっかり赤くなってうつむいてしまうのでした。するとこの花婿は、かわりに花嫁のおでこに口づけし、手を取って踊りに誘いました。そんなわけで、ふたりが大広間のまんなかで楽しく踊っていると、ふいに熊の毛皮をかぶった男があらわれて、
「おまえさんの兄弟たちのせいで、庭園のばらがみんな散ってしまったよ。まったく困ったことになったもんだ」と嘆きはじめました。「だからおまえさん、また昔のようにあいつらの世話をして、きれいな花を咲かせてくれんかね?」
けれども美しい花嫁は「いいえ、できないわ」と答えました。「だってあたし、これから王子さまといっしょに薬草を育てるんだもの」。
「わざわざ頼みに来たってのに、そいつはまったく残念だ」と男は言いました。「ところで、おまえさんはいま、やっぱりしあわせなんだろうね?」
そこで花嫁は「ええ、とっても」とすなおに答えました。「いままであたし、この人よりすてきなお婿さんなんていないと思ってたわ。でもそうじゃなかったの。魔女の呪いが解けた王子さまは、昔の千倍もすてきになってしまったんだもの。もうあたし、ほかに望むことなんてひとつもないわ」。すると、それを聞いた熊の毛皮男は、
「おまえさんが言うんなら、もちろんそのとおりなんだろうさ。いつまでもそのままでいるがいい」と言いました。そんなわけで、このお城ではいまもまだ結婚式がつづけられていて、美しいお妃さまとすてきな王子さまは、あいかわらずしあわせに踊りまわっているということです。
著者:結社異譚語り | |||
2009年 | 9月 | 21日 | ページ公開 |
2011年 | 9月 | 4日 | 最終更新 |